「うわあ、すっごい人の数だね! さすがお祭り!」
大きな広場いっぱいに立ち並ぶテントと人だかりに、トウコはそれは嬉しそうに大きな瞳を爛々と輝かせた。食い気だけでよくもそんなにはしゃげるものだ。
日陰では深い飴色に見えた瞳は、陽の光に透かすと虹彩に僅かな薄緑がのぞき、実はヘーゼルだったと知った。それなりにありふれた色彩ではあるが、陽の下で覗き込まないと分からないそれは、なんとなく希少なもののように感じる。
「祭りじゃないよ、祭りの宣伝。……ったく、収穫祭は二ヶ月も先だってのに……」
つい勢いで連れて来てしまったが、また食事に夢中になられては話をするどころではなくなる。
今さらになって後悔し、エンヴィーは重いため息をついた。
「本番はもっとすごいんだろうね。中央のお祭りなら東京並みに人多そう」
「トーキョーってどこだよ」
「あ、あーあー、なんだっけ、えっと、どっかの都会」
トウコはときどき変なことを言う。突っ込むと慌てて誤魔化すあたり、どうやら本来は言ってはいけないことらしい。
それならそれでもう少しマシな誤魔化し方はないのかと呆れたが、まあこちらとしては好都合だ。
「あ、見てほら、エンヴィー! あっちでステーキの食べ比べやってるって!」
「……まさか食うの?」
「食う! だってほら、めちゃくちゃ美味しそうな匂い!」
「マジかよ……」
スキップする背中にエンヴィーもしぶしぶついて行った。この調子では食事中か否かに関わらず、話を聞くのは無理そうだ。
「どうせならカロリー高そうなの中心に食えよ」
「そだね。お昼は軽めだったし、カロリー摂取は大事だよね」
「マジでいつも何食って生きてんの?」
普段はあまり食べないようなことを言っていたくせに、どうやらこっちが本音らしい。
果たして今日中に有益な情報を聞き出せるのだろうか。なんだかこいつの腹を満たすだけで一日が終わりそうな予感がする。投票用紙を片手にずらりと並んだ試食用の肉を番号順に食べていくトウコを見てそう思った。
「美味しいかい、お嬢ちゃん? よければどれが気に入ったか教えてくれ」
「うーん、どれもすっごく美味しいですけど……そうだなあ、この7番のステーキがすごく好きです。柔らかいし、スパイスが利いてて食が進む感じ」
簡易テーブルの奥から料理人らしき男に尋ねられ、トウコは真剣な顔で答えた。すると男は「よし!」と言って、トウコが言ったのと同じステーキを紙皿に乗せはじめた。これから試食用に細切れにされるはずだったと思われる、大きな焼きたての肉だ。それを紙皿ごと包み紙で巻いて、袋に入れてトウコに差し出した。
「嬉しいこと言ってくれたお礼に、これ持って行きな! お土産だよ!」
「え、そんな、いいんですか?」
「いいのいいの! そん代わり、今度うちの店に来てくれよ! 割引するからさ! そこ、そこの角の店ね!」
「はい、ありがとうございます!」
トウコは満面の笑みで礼を言い、なおも話しかけたそうな料理人には気づかず、隣のピザのテーブルに移った。そしてパン、ジェラート、チーズと試食していくうちに、その腕に抱える土産袋も次々と数を増していく。あまりの光景に言葉が出ない。田舎町ならばともかく、エンヴィーの知る中央の商売人はこんなに親切ではなかったはずだ。
「いっぱいお土産もらちゃったね。あっちで座って食べる?」
しかも二人でもらった戦利品と認識しているらしい。
「いらないよ、まだお腹いっぱい。持って帰ったら?」
「じゃあホテルの人たちへのお土産にしようかな」
「うんうん、そうして」
ぼんやりと人垣を眺めながら適当にうなづいた。もはや諦めの境地である。
うん、切り替えよう。焦りは禁物、今日のところは距離を縮められればそれで良い。
「セントラルは怖いところだって聞いてたけど、全然そんなことないね。みんな親切で優しいし」
「……あんたに親切な奴の大半は、あんた以外には不親切だと思うけどね」
「え?」
きょとんと首をかしげるトウコは気付いていないようだが、どの店もトウコ以外の客には、愛想よく投票用紙を手渡す以上のことはしていない。
人に親切にされることを当然と思っている……わけではないようだ。自分に親切な人間が、自分以外の人間には違う態度をとっていることを知らないだけで。
おめでたい奴。人間に興味などないが、自分が特別に恵まれているとは夢にも思わぬ目の前の少女には、少なからず腹が立った。はっきり言って嫌いなタイプだ。
せめてもの救いは――。
「お、おいあれ見ろよ! すっげえ、すっげえ美人!」
急激に、トウコの周囲の気温が下がるのを感じた。
行列に並ぶ客の一人が人目もはばからずトウコを指差して叫んだからだ。
「おまえすぐそれ言うよなあ……って、うっわ、マジだ。なにあれ、なんかの宣伝? え、てか人間?」
「ヤベーよな、人形みたいっつーか、あんな綺麗な子、はじめて見たわ」
「どこの店の子かな。うわー、肌きれい、髪さらっさら。こっち向かねえかなー」
それまでと変わらぬふうを装っているが、トウコは気持ちがすぐ顔に出る。水を差された、そう言わんばかりの白けきった顔で小さく嘆息して、さりげなく移動しようと踵をめぐらせた。
「なんか変なのと一緒にいるけど、まさか彼氏かな?」
その次の瞬間、鼻の下を伸ばしてトウコに見惚れていた男の表情が、ぴしりと凍りついた。
捕食者に遭遇した小動物のような様子にエンヴィーは一瞬首をかしげたが、理由はすぐに分かった。自分の隣にいる女が、それは冷たい氷の目で男を睨んでいるからだ。
「……見世物じゃないんですけど」
底冷えのする声に、男だけではなく、その周囲の者までもが震え上がった。造形の整った顔立ちほど、負の表情は凄みと迫力を帯びる。
「あ、えっと、すいま、せーん……」
これだ。エンヴィーがまだトウコに強く腹が立たないのは、劣等感を刺激されないのは、そこにトウコ自身のコンプレックスが透けて見えるからだ。
外見への賞賛に興味が無い。どころか、嫌悪感すら抱いている。美しいことを欠点だと感じているのだろうか。さきほど山のようにもらった土産物も、自分の整った容姿へのサービスだと知れば、きっと不愉快そうに顔を歪めるのだろう。
くるりとこちらを向いたとき、もうトウコの目に冷たさはなかった。代わりにうかがうような怯えの色。
「……ごめんねエンヴィー。ここ変な人がいるし、もう行こっか」
私のせいで、とは言わない。そう思っているのは申し訳無さそうな顔を見れば一目瞭然なのだが、それがひどく傲慢な自責だと知っているのだろう。
すっかり興が醒めた様子で踵を返したトウコだが、二歩も歩かぬうちにぴたりと足を止めた。
「あーあ、感じ悪ィ」
近距離でのわざとらしい大声は、明らかに聞こえるように言っている。再び冷えたトウコの目は、自分を落ち着けているようにも、買うべき喧嘩かを見定めているようにも見えた。
「美人ってさ、見た目優しそうなくせに、中身はゆがんでるよな。やっぱ調子乗ってんだなー」
「まああんだけ可愛けりゃな。チヤホヤされて育ったんだろ」
酸っぱい葡萄というやつか。いかにも人間らしい。
人の評価とはその期待値が高ければ高いほど、落ちるときは急激に低くなる。もしかしたらトウコはこれまでにも、理不尽な期待と失望を受けてきたのかもしれない。
諦めた様子で歩き出したトウコの表情がまるで“いつものことだ”と言わんばかりだったからエンヴィーはそう思った。
男たちの方ももう当て付けは終わったらしく、続いた言葉はただの愚痴だった。
「だってほら、あの顔だぜ? あのレベルの美人、もう一生会える気がしねえよ。あれでしゃべらなけりゃ最高なのになー」
「もったいねえよな。その上、あんな変なのとつるんで――」
それ以上先は、言葉にならなかった。そんな暇もなく男の体が宙を舞ったからだ。
エンヴィーは自分の真横を翻った風がそれを投げ飛ばす瞬間を、かろうじて視界の端におさめた。
「だから……見世物じゃねえって言ってんだろ!!」
激しい怒号と共に、服を着た肉が人垣に落ちていった。当然避けられ、無防備な背中を石畳に打ち付ける。
静寂が場を支配した。長い髪を揺らして肩で息をするトウコに、誰も、なにも言えない。
そんな時間の止まった広場で、エンヴィーはペチペチとやる気のない拍手を送った。無論、感心してではない。どんなに低く怒鳴っても、軍人顔負けの腕っ節を見せても、ちっとも損なわれない美しさにいっそ呆れたのだ。
「あ、ち、違うのエンヴィー」
そのくせ、はっとした途端、怯えた目でエンヴィーを振り返る。
初めて会った時といい、どうやら武力行使に抵抗があるらしい。これまでの言動からして誰かになにか言われたのか。
分からなくはない。一般的な人間の感覚であれば、トウコの行動は歓迎されるばかりではないだろう。
だがエンヴィーは違う。人間ではないし、もっと大きく残酷な暴力を知っている。だからしんと静まり返った群衆を背景に、笑ってトウコに手を差し出した。
「なにが違うの? ムカつく奴がいるならふっ飛ばせばいいじゃん」
ぶっ殺せば、と言いたかったところを、あえて言い換えた。
「で、でも……いいの? 野蛮だし、見ててこわいでしょ?」
「なにそれ、そう誰かに言われたわけ? 別に全然、こわくないよ」
笑い飛ばしてやると、トウコはきゅっと唇を引き結び、顔を隠すようにうつむいてエンヴィーの手をとった。
御しやすい、そう感じた。これなら簡単に手懐けられる。
「ほら行こう。もうここに用はないだろ?」
繋いだままの手を引いて広場を出る。
もう片方の手で目元をこする気配がしたあと、トウコはためらいがちにつぶやいた。
「……エンヴィーは、何も言わないんだね」
何をだろう。野蛮云々の続きだろうか?
「その……他の人たちみたいなこと」
ああ、そっち。
この容貌ならトウコがこれまでの人生ずっと、会う人ほとんどに賞賛や嫉妬を送られてきたことは想像に難くない。少なくとも、“何も言わない”という人間は皆無に近いだろう。それだけ、外見の印象が強烈なのだ。
だがエンヴィーは一度もその話に触れていない。それが不思議なのか。もしくは、気を遣っているとでも解釈しているかもしれない。
エンヴィーにしてみれば、ムカつくから触れないだけだ。絶世といっても申し分ないほどのそれは、一度意識してしまえばエンヴィーの劣等感を酷く刺激する。
だが、言わないことでトウコを喜ばせているのなら、それはそれで腹立たしい気がした。
「じゃあ言うけど、あんたは綺麗だと思うよ」
こう言えばトウコが嫌悪感を表すことはもう分かっている。いま彼女に嫌われることは得策ではないが、このままむず痒い勘違いをされるのも癪に障るのだから、仕方がない。
「……ど、どうも」
ものすごいしかめっ面だった。だが眉を寄せ唇をとがらせた表情は照れ隠しだと、なんとなく理解した。
「……顔を褒められるのは嫌いじゃなかったの?」
「いや相手による……って、なんで知って、あれ、っていうか知ってて言ったの!?」
百面相して仰天するトウコに、馬鹿か、と呆れた視線を送る。
「見てりゃ分かるし、分かってたら嫌がらせに使うだろ」
「分かってるなら言わないでしょ普通! って、あの、うそでしょ本当に? そんな分かりやすい?」
「ついさっき同じこと言われてキレてたじゃん」
先ほどトウコは、もし途中で我に返らなければ確実に錬金術を使っていた。右手はバッグに触れようとしていたし、黒猫もそれに備えてトウコの肩に避難していたから間違いないだろう。
正当防衛以上の暴力はふるえない、などとのたまっていた人間がそこまで激昂しておいて、分からないはずがあるものか。
「いやあれはエンヴィーの――」
言いかけて、トウコは思い直したように口をつぐんだ。
なんだろう。首をかしげ、先ほどの出来事を反芻した。そういえば、トウコが言葉を発する直前、男が言っていたセリフは――。
かっと、頭に血がのぼるのを感じた。
「エンヴィー? どうしたの?」
「……なんで怒った?」
「え、」
「さっきの連中の、なにに怒ったのか言ってみろよ」
低く問い詰めると、トウコは大きく目を泳がせて口を開いた。
「……わ、悪口言われたから」
「誰の」
「えっと」
言い淀んだその沈黙が答えだった。
「っふ、ざけやがって!!」
熱い顔をゆがませて怒鳴った。踏みつけた地面が割れてレンガが浮き上がる。それでも殴らなかっただけ、自分にしては理性的だ。
だってまさか、ああクソ、図々しくもこの女は、人間の分際で――!
「ご、ごめん……」
ちいさく呟いて、トウコはどこかへ駆けて行った。
ああクソ、やってしまった。せっかく半日もくだらない茶番に付き合ったのにこれで台無しだ。
だがもういい。これ以上は耐えきれない。人間のフリが続いただけよしとしよう。続きはラストあたりに任せればいい。
「あの馬鹿……」
そう、馬鹿だ。滑稽と言ってもいい。トウコは、エンヴィーのために怒ったのだ。下等生物の分際で、身の程知らずにも。
たしかに人間風情がこのエンヴィーを馬鹿にするのは許せない、が、だからと言って昨日今日知り合ったばかりのあいつが怒るようなことではないはずだ。
ああいや、知っている。人間とは時にそういうことをする生き物だ。エンヴィーとて二百年以上の時を人間を見て生きていたのだから、そのくらいは理解している。
だが、それを自分に向けられるのは、初めてだった。
「クソッ!」
怒りに似た感情に任せて地団駄を踏むとレンガの割れ目が広がった。力が強いのではない。見かけからは想像できないほど、体重が重いのだ。
イライラする。人間の、頭に花でも咲いてそうな言動に触れるといつもこうだ。病知らずの体にも関わらず蕁麻疹が出そうになる。
それが目の前で繰り広げられたなら、ぶち壊して踏みにじって、絶望させてやろうという気にもなる。だが今回は自分だ。そしてトウコはまだ何も聞き出せていない情報源であり、人柱の関係者。いま失えばラストに「だから爪が甘いのよ」なんて言われかねない。
忌々しい。ムカつくから死なない程度に何かしてやりたい。どうせちょっとやそっとのことでは、あの馬鹿は恨みもしないだろう。これもまた忌々しいことだが。
殴るのは自分の手が痛くなるし、なにか良い方法はないものか――そう思案しながら顔をあげると、トウコは道向かいの露店の店主から瓶入りのジュースを三本受け取っていた。またサービスされているらしい。生きるのに苦労しなさそうな女だ。
だが、あの食欲ではそれでも足りない気がする。改めて眺めると、柳のように細い体の一体どこにあの量が収まるのか、エンヴィーは不思議に思った。物理法則を無視しているのではとすら思える無尽蔵な食欲だ。
そんなことを考えていると、瓶入りのジュースを両手に持ったトウコに、派手な装いの若い男が駆け寄って声をかけた。ナンパならどうせ断るだろうと静観していたら、トウコはのこのこと男について行きはじめたではないか。――って、嘘だろ!?
「なにやってんの!?」
ぎょっとしてつい声をあげた。
慌てて腕を引っ掴んで引き止めると、トウコはきょとんと首をかしげた。
「ちょうど良かった。エンヴィー、誰か呼んできてくれない? 向こうに体調悪い人がいるらしくて」
はあ!? 目を剥いて聞き返すが、トウコは本気だ。ほら、あっちだよと大真面目に狭い路地を指差している。
「いやいやいや、どう考えてもウソだろ! さっきまでああいうのに警戒心むき出しだったくせに何やってんだよ馬鹿!!」
「いやそれとこれとは別かなって。見るからに怪しいけど、ウソと見せかけて本当かもしれないし」
「別じゃないし見せかけてないし明らかに騙されてるし!!」
そうかなあ、と首をかしげるトウコの後ろを「ほら!」と指差した。いまの会話の間に声をかけてきた男はしれっと逃げ出している。その後姿を目にとめて、ようやくトウコも「本当だ。また騙されちゃった」とのん気に認めた。
またって何だよ、と訊こうとして、やめた。初対面の時を思い出せば容易に想像はつく。きっと、ツッコミ必須の武勇伝がたんまりあるに違いない。
「そうだ忘れてた、ジュース買ったの。オレンジとブドウどっちがいい?」
「……ブドウ」
「気が合うね、わたしもブドウ! あ、大丈夫。一本オマケしてくれたから、ブドウは二本あるんだ」
そう朗らかに笑って、トウコは紫色の瓶を差し出した。その笑顔の眩しさといったら、全力で横っ面を殴り飛ばしたくなるほどだ。
――調子が狂う。はっきり言って、持て余している。
- 2016.08.05
- 2020.04.29 一部改稿