孤独で弱い、自身より劣った存在。
それだけでエンヴィーにとっては充分だった。
いくら容貌だけが美しかろうとも、老いればいずれ衰える。自分たち人造人間と違って。
「美味しいね、これ」
今日一日だけでもう何度目だろう。トウコは歩きながらジュースを飲み干してそう言った。
「行儀悪い」
「うっ、ごめん」
何故か謝って手の甲で口元を拭うその仕草も、品があるとは到底言えない。
見かけだけは端麗なだけに、ちらちらとこちらをうかがっていた通行人が残念な目をして去っていく。
エンヴィーの二日分以上の量を平らげたのだから当然だが、腹もさすがに少しばかり膨らんでいた。これで細いままだったら、エンヴィーは等価交換の法則を信じられなくなっていた。
「本当にいらないの? 全部持ってくよ?」
「いいって。これっぽっちも欲しくないからどーぞお好きに」
美少女にいいところを見せようと男たちが貢いだ――本人は厚意のサービスだと思っている――食べ物が入った土産袋を遠慮がちに掲げられ、エンヴィーはげんなりと手を振った。正直、しばらく食べ物を視界に入れたくない。見ているだけで胸焼けしそうだ。
しかしまあ、久しぶりの外食はなかなかに新鮮ではあった。味気ない軍の食堂とはやはり違う。
人造人間であるエンヴィーにとって食事は必ずしも必要ではない。生命維持に必要なエネルギーは全て賢者の石が補ってくれる。だがその消費を抑えるために食事は人間と同じようにするし、どうせ食べるならば美味しい方がいい。
「(……まあ、たまには悪くないかな。こういうのも)」
そもそもエンヴィーは人間のフリが嫌いではない。自分の演技にまんまと引っかかる人間を見ると心地いい優越感にひたれるからだ。実在しない虚像を愛する人間を嘲る快感といったら。
まあトウコの場合はエンヴィー以外の演技にも引っかかるのが問題だが、あの扱いやすさは爽快だった。
人間特有の勘に触るようなウザったさもそれなりにはあるが、ギリギリ許容範囲内だろう。殺したくなるほどの苛立ちは感じない。むしろ楽しくもあった。……先ほどの、余計な出来事さえ思い出さなければだが。
「今日はありがとう、エンヴィー」
しかし何はともあれ、どのみち今日は時間切れだ。
「どういたしまして。この後は昨日の図書館だよね? 送るよ」
「ありがとう」
そう微笑んで逆方向へ曲がったトウコの頭を、ほぼ無意識にはたいた。
「いたっ」
なんなんだと向けられた抗議の目に、「バカ」と毒づいて反対方向を指し示す。バッグから抜け出した黒猫がニャアと一声鳴いてエンヴィーの指した方へと歩き出した。
「あんたよりよっぽど優秀みたいだね。図書館はあっち」
「あ、あはは……。ごめんごめん、知らない道だからついね」
苦笑いで方向転換したトウコの少し前を歩く。知らない道なら大人しく後ろについてくればいいものを、何故そう当てずっぽうなのだろう。
戦場なんかに連れ出せば二秒で遭難しそうだ。どのみち手駒としての価値はないか。
けど、目的はそこじゃない。
「ねえ、また会えるよね?」
「えっ、うん。しばらくは滞在する予定だから……えっと、……会ってくれるの?」
「もちろん。今度あの宿に会いに行くから、また面白い錬金術を見せてよ」
エンヴィーがそう言うと、トウコは目元をゆるめてこくこくと頷いた。
さすがに警戒されているだろうと思っていたが、意外にも歓迎されているらしい。
「あんなのでよければ、いつでも気軽に遊びに来てね」
「ああ、うん」
たったそれだけでトウコはぱあっと眩しい春の朝の笑みをこぼして、今にもスキップしそうな軽い足取りで歩き出した。
……あまりにチョロすぎないだろうか。目的があって人間に近づくことはこれまでにも何度かあったが、これほど取り入りやすい人間は初めてだ。
「昼間のお店、また行きたいな」
「うえーまたぁ? トウコの家って食費とかどうなってんの?」
「肉屋だから余り物で浮かせてる」
とりとめもない話をしながら、大丈夫かこいつ、とエンヴィーは内心で呆れた。ひどすぎて嘲笑する気にもなれない。
どうやらレストランでの質問攻めはすっかり忘れているらしい。なんともガードの緩いことだ。
灰色の石畳に黒い染みが打たれる。ぽつぽつと、飛沫ほどの粒が頬に落ちた。
「あ、雨」
トウコが天を仰ぎ白く細い手をかざすと、そんな小さな所作ひとつで周囲の視線は容易にさらわれた。
間違っても暗殺は出来ないタイプだと、する予定もない感想がエンヴィーの頭をよぎる。
「……どっかで雨宿りでもしてく?」
「うーん。このくらいなら大丈夫でしょ。シディ」
呼ばれた猫が開いたままのバッグの口にもぐり込む。
癖のないポニーテールがさらりと揺れた。芍薬の花に似た、涼やかで甘い匂いが鼻腔を掠める。香水ともシャンプーとも違うほのかな香り。ポプリだろうか。
ギリギリ許容範囲内だとさっきは思ったが、こういうところは別だ。彼女こそが美の極致なのではないか、そう錯覚させるほどの清廉な華やかさは、どうしようもなくエンヴィーの心を逆撫でする。
腐臭しかしない自身の本性とは真逆の存在。
次第に雨脚が強くなってゆく。頬を滑り落ちる雨水が冷たい。
足の速い暗雲が空を覆う。
「エンヴィー?」
振り返った花の微笑みの、甘ったるさといったら。
気を許しきった表情。これだから人間は愚かしい。いとも簡単に騙されて……いや、
「……死ね」
「えっ」
気付いてしまった途端、無意識にそうこぼした。
エンヴィーは人間のフリが嫌いではない。自分の演技にまんまと引っかかる人間を見ると心地いい優越感にひたれるからだ。
だが振り返ってみれば今日のエンヴィーは、演技らしい演技などろくにしていなかった。いくらか話を合わせたくらいで、姿も言動もおよそ普段のエンヴィーのままだ。
ならばトウコのこの、あまりにも明け透けで真っ直ぐな感情は……実在しない虚像などに向けられたものではなく、正真正銘――
「え……っと、わたし、何かした?」
「別に。なんでもない」
おろおろと困惑するトウコにつんと返した。今さら取り繕うのも面倒だ。
困り果ててめいっぱいに柳眉を下げていてもなお、トウコはゾッとするほど美しい。どんなに大きく表情を動かしても損なわれない絶対的な美。頬を滑る雨雫すらも彼女の引き立て役だった。エンヴィーがどう足掻いても手にできないものだ。
腹が立つ。その美しさにではない。そんな人間が、真っ直ぐ自分を見つめている事実に。
どうしようもなく胸が悪くなったエンヴィーは、暗い目でじっとりとトウコを睨んだ。
いよいよ強く打ち付けはじめた雨に気を取られてか、トウコは淀んだ視線には気付かず、慌てて取り出した折り畳み傘を広げてエンヴィーに差し出した。
「急に降ってきちゃったね。放っておいても乾くと思うけど、錬金術を見せるって話だったし」
これ持ってて、と傘を渡され、トウコがバッグを漁るのを上から覗きこんだ。荷物の上に寝そべる猫が迷惑そうに身じろいでいる。
そこから拾い上げたスケッチブックに、サラサラとよどみなくペンが走る。
「いくよー、見ててね!」
切り離したページを水浸しの地面に叩きつける。
インクが水に滲む直前、青白い錬成反応の光がほとばしった。一瞬だけ濃い水蒸気がエンヴィーを包み込み、最後はからりと乾いた空気が残った。
まわりを見渡す。なにも変化はない。いや、石畳と二人の服や肌を濡らしていた水が消え失せている。
「錬金術の錬成過程は理解・分解・再構築の三つ……。で、まずはこのあたりの水と空気の一部を分解してみました」
「それだけ?」
「まだだよ。再構築したものは、その傘の上」
「?」
言われてみると傘が重い。
なんだろうとひっくり返してみる前に、なにかがずるりと滑り落ちた。
バサバサと粉のような白い塊が地面に崩れ、新しく降り注いだ雨に溶けていく。雪だ。
「これだけ?」
「こ、これだけ……。面白くない?」
「別に。なんか簡単そうだし」
そっけない反応にトウコはがっくりと肩を落としたが、冷たさの消えたエンヴィーの声に安心したのか、その表情に困惑の色はもうない。
「近所の子たちにやったらウケたんだけどなあ」
「そんなのと一緒にしないでよ」
「うーん残念。あ、でも服は乾いたでしょ? メインはそっちだから」
そう言ってまた逆方向に歩きだす。無言でその首根っこをつかんで傘の内に引っ張り、エンヴィーは錬成された雪を振り返った。つまりは実用も兼ねたパフォーマンス、ということか。
あくまでそんなことに錬金術を使うトウコに、思わず本音が口をついた。
「つまんない女だね。そんなことにばっか術を使って、大きな研究には興味なし。なんのために錬金術やってんの?」
「辛辣ゥ……。そりゃあ便利だからだよ。大きな研究なんかしなくても人の役には立てる」
「錬金術師よ大衆のためにあれ、ってやつ? くだらない。それであんたに得があるわけ?」
「手厳しいね。エンヴィーってあれかな、社会をナナメに見下ろしてる感じ?」
「馬鹿にしてる?」
「うそうそ、冗談。馬鹿にはしてないよ」
トウコは考えるように傘のふちに目をやった。露先からは休むことなく雨粒が滴り落ちている。
「人のためになってどうなるか、ねえ……。どうとでもなると思うよ。少なくとも敵は作らないし」
「敵?」
「実を言うとわたし、けっこう嫌われ者なんだよね。一応それ気にしてるって言うか」
どこがだ。とっさにそう思ったが、トウコは本気らしい。
気まずそうに言葉を切って、目線を泳がせてから続けた。
「錬金術で友達も作れたらいいのにね、そうはいかないから。代わりに錬金術を使って友達集め。なんでも作れるようになったら、皆が頼りにしてくれそうでしょ?」
「……いや、利用されるだけじゃない? ただの便利屋じゃん」
トウコの理屈を意外に思いつつ、率直な感想を述べた。
だがたしかに、トウコは類まれな美貌の持ち主ではあるが、それ以外はむしろ平凡かそれ以下だ。化け物じみた胃の容量はともかくとして。
そう考えると案外、誰からも好かれる、とはいかないのかもしれない。だから人前では荒い気性を隠すのかとエンヴィーは納得した。あまり隠せていないが。
まったく、どうして人間はこう、そうまでして他者との繋がりを求めるのか。
「いいの、便利屋で。わたしの夢だもん」
「ゆめェ?」
「いつかね、錬金術で作った錬金術を使うお店を作りたいの。もっと腕を磨いてからの話だけど」
「錬金術で作った錬金術を使う……」
飲み込みかねて反芻する。
トウコは夢を語る人間にありがちな、浮ついた目をして説明を始めた。
「お店の建物も内装も全部錬金術で作ってね、そこで錬金術を使ったなんでも屋さんをするのがわたしの夢。なんでも作るしなんでも直す、そんなお店をしたいの」
「そんなの今すぐやればいいじゃん」
「無理無理、意外と難しいんだよ? なんでも錬成するって。国家錬金術師レベルの人はともかく、わたしみたいな平凡な術師には一生かかっても出来るかどうか。だからこそ、それが叶う頃にはきっと、みんなが頼ってくれる。……といいな」
まるで共感できない。だがトウコという人間については、少しばかり理解できてきたかもしれない。
思い返せばトウコの言動には怯えと自虐がその端々に表れていた。そこに彼女の底を見た気がして、エンヴィーは先ほど抱いた嫉妬が一気に和らいでいくのを感じた。
それにどうせ、そのくだらないチンケな夢が叶う前にこいつは死ぬ。
優越感は余裕を生み、思い通りにしてやる悔しさより弄べる愉悦が勝る。
だからエンヴィーはトウコが望んでいるそれを言ってやることにした。この言葉で目の前の人間があっけなく陥落するとわかったから。
「そんなことしなくてもさ、友達なら今日できたじゃん」
「……え」
立ち止まって、大きく瞠った両目にエンヴィーだけを映したトウコは、言われた意味を処理しきれないでいるようだった。それとも都合の良い早とちりを恐れているのか。
エンヴィーが微笑みで安心をうながすと、ガラス玉の瞳は面白いほど簡単に濡れていった。それを隠すようにそっぽを向くところまで想像通りだ。
「……うれしい。ねえエンヴィー」
「うん?」
「今日のこと、もし嘘でも忘れない」
「嘘じゃないよ」
嘘だ。けれど疑われるのは心外なので、トウコの目元を袖口で拭ってやりながら微笑んでそう言った。
「……不思議。エンヴィーと話してると、女の子の友達といるみたい」
「そう?」
「なんとなくね。……ちなみに男の子、だよね?」
「え、あー、うん」
これも嘘だ。とっさに肯定したものの実際の性別は自分でも知らない。
普段はこうして男寄りの姿をとっているが、本来の容姿はまるで雌雄の判別がつかないものだ。ただでさえ人造人間は生殖能力がないというのに、体の造りで分からないとなれば自分の性別を知るすべはない。
なんだ。ちゃんと嘘ばかりじゃないか。ならトウコが見ているのはやはり、実在しないただの虚像だ。間違ってもエンヴィーではない。
「……あの、また遊ぼうね」
「はいはい」
まるで脈絡のない言葉に適当な相づちを打つ。
頭の軽そうな女だ。人柱候補としてはいささか物足りないが、情報源としてはちょうど良いタイプといえる。
食べ物の話、服の話、猫の話……他愛もない話題は意外にも尽きることを知らず、図書館に着いてもトウコはまだ名残惜しそうにしていた。
それに手を振って別れ、エンヴィーは住み慣れた暗い地下へと帰っていった。
トウコに借りた傘は、途中で捨てた。
§
暗闇に規則正しいヒールの音が響く。
エンヴィーにとって自宅でもあるそこに来る女など一人しかいない。
「……エンヴィー?」
予想した通り、同じくここの住人である艶めかしい女――ラストが現れた。
彼女は胡乱げに目を細めて首をかしげると、ウェーブがかったロングヘアがさらりと流れた。その髪色はエンヴィーと同じ漆黒。彼女だけでなく、同じ父から生まれた兄弟はみなそうだ。
「なに?」
「なにはこっちのセリフよ。なんなの、その姿?」
「ああこれ。鋼のおチビさんの姉弟子だよ。若いしキレイだし、いいでしょ? 変身しがいがあるっていうかさ」
トウコの顔をしたエンヴィーは、その場で両手を広げてくるりと回った。
しかし身を包む黒い衣服も露出した体も、首から下はいつもの筋肉質な男体だ。
「どうでもいいけど、悪趣味よ。気持ち悪いからやめてちょうだい」
「はいはいっと」
赤い光が窓のない地下室を照らす。パキパキと乾いた音を響かせ、エンヴィーの顔はあっという間に形を変えた。
深い飴色の瞳は赤く。黒い髪はもっと暗い黒に。光と音が止んだとき、そこにはいつものエンヴィーの姿があった。
「……ふう。あ、鋼のおチビさんの見張りがてらに、面白い人材を見つけたよ」
「鋼の坊やの姉弟子って子? 使えそうなの?」
「どうかな。扉については何か知ってそうだけど」
「なら上手く情報を引き出してよね。あなたは仕事が雑だから、不安だわ」
そう言うラストは人間に溶け込むのが得意で、昔から人に近付いての情報収集は彼女の仕事となることが多かった。
けど、エンヴィーだって苦手なわけではない。その証拠にトウコは、エンヴィーに心を許している。完全に友達だと信じ切っている。
「大丈夫だよ。なんかバカそうだし、とりあえずニコニコしとけば上手くいきそう」
「ならいいけど……。人柱の選出は最優先事項なんだから、ミスのないようにね」
「はいはーい」
適当に返事をしてエンヴィーは手を振った。いつもながらのそれにラストが肩をすくめる。
そう、いつも通りだ。
トウコに近づくのも、仲良くなるのも、情報を引き出すためのいつもの仕事。
だからトウコが友達だと思っているなら好都合だし、エンヴィーはそれを嘲笑っていればいい。
嘲笑っていればいいんだ。
- 2015.12.27
- 2016.08.05 加筆修正
- 2020.04.29 一部改稿