はじまりの始まり

 なにか面白い話をしろと言われてひねり出した第一声は、まるで宗教の勧誘文句だった。
「前世、って信じますか?」
「……なんの話?」
胡乱(うろん)な目でこちらを見る男に「退屈なんでしょう」と付け足す。
「まあね」
「実はわたし、前世の記憶があるんです。前世のそのまた前世の記憶も……信じてくれるなら話しますよ」
 余興の前振りだと理解したのか、男は「なるほど」と言って保存食の缶をひとつ開けた。
「面白そうだね。その話、信じるよ」
「では夜が明けるまでしばしお付き合い……なんてことはせず、気楽にどうぞ。途中で寝ても構いません」
 大真面目に話す内容ではなし、睡眠導入剤かわりに聞き流されるくらいでちょうどいい。
 そういうわたしも毛布にくるまって、腕をかばうように寝転がった。
「なんだ、まだ治ってないの?」
「あなたと違って平凡ですので」
「本当に弱いんだね」
「……ええ」
 窓の外、星ひとつない空を見上げる。遠くでは人の営みの明かりだけが煌々と、夜の(とばり)を寄せ付けぬほどに輝いている。
 わたしはそっと目蓋をおろした。故郷の満天の星空を見る、簡単で唯一の方法。
「そうです。何度生まれ変わってもわたしは弱いまま。だからこれは痛快な冒険活劇でも、輝かしい英雄譚でもない」
 突然に降って湧いたこの運命が幸か不幸か、今でもわからない。
 ただわたしは、終わらないはじまりを手に入れた。
「弱く愚かな女が必死に生きて呆気なく死ぬまでの、ちょっとした昔話です」
 これは終わりを失ったわたしの最初の物語。
 ながい永い生のはじまりの物語。

§

 夢の続きを見ていた。
 トウコは真っ赤な景色のなか、猫一匹分でいいから、どこかに逃げ道がないかと探している。
 今まで聞いたこともない酷くこわばった鳴き声が腕の中で響き続けている。バチバチと火花がはじけて、風鳴りに似た低い音を立てて炎が燃え上がる。火に音があるだなんて、トウコは今日まで知らなかった。
 諦念はない。あるのは果てのない後悔と、絶望的なまでの無力感。
「いやだ……死にたくない。まだ、終わりたくない……」
 焼けた空気を吸うだけで命が削られていく。無意味な叫びだとわかっている。
 それでも言葉にしたのは神にもすがる気持ちだったのかもしれない。トウコは生まれて初めて、心からの祈りというものを知った。
 諦念はない。それでもこの先の未来を望むには、あまりにも絶望が大きすぎる。
 ――だから代わりに、もしも、と願う。
 もしも生まれ変われるのなら、次はもっと強く、後悔しない自分になれますように。
 それを最後に熱が引いていった。炎が消えて、肌が呼吸を取り戻す。意識が浮上していく。
 夜明けが来る。

 温かい日差しと、小鳥のさえずりが朝を告げる。まだ少しだけ冷たいそよ風がカーテンを揺らす。
 腹から胸へ、小さな足が自分の体を踏みしめる重みでトウコは目を覚ました。
「……ゆ、め」
 視線を窓の外に動かすと、薄紫の空に真新しい明かりが滲んでいた。
「ニャア」
「おはよう……シディ。また懐かしい夢を見たよ」
 あれからもう十六年。昔のことを一つひとつ夢で思い出し始めたのは二年前だったか。そしてこの夢も、もうじき終わるだろう。
「……やっぱり行かなきゃ」
 見慣れた小さな頭を柔らかく撫でる。ニャアともう一声鳴いて、黒猫は少女を急かした。
「はいはい、ご飯ね。すぐ支度するから、ちょっと待ってて」
 椅子にかけっぱなしのエプロンを手に取ってトウコは小走りで台所に向かった。
 ――大陸暦1914年 アメストリス南部 ダブリス。
 田舎とも都会ともつかない、観光で栄える暖かい南の街。
 トウコは、そこで精肉店を営む一家のひとり娘である。

 肌を打ち、砂利を蹴る軽快な音が裏庭に響く。
 右、左、右と見せかけて、もう一度左。受ける拳の力強さに安心して、さらに速度を上げていく。
 朝食の支度に続くトウコの朝の日課のひとつ、組み手である。母がこれに参加するのは稀で、今日はじつに三日ぶりだった。ちょっとした会話を交えながら技と拳の応酬をするこの時間がトウコは好きだ。
 しかしそんな穏やかな時間は母の怒号によって幕を閉じた。
「軍に行くだってェ!?」
「うぶっ!」
 明日から中央(セントラル)に行ってくる、ちょっと中央司令部まで、と言うなり視界が高速回転し、トウコはよく晴れた空に打ち上げられた。
 なんとか受け身をとったそばから、這うような低い声が忍び寄ってくる。
「まさかお前まで軍の(いぬ)になるなんて言うんじゃないだろうね……?」
「ま、ま、ま、ごかい、待ってお母さん、誤解だよ」
 身を起こす間もなく弁解の言葉を探す。
 相対するだけで押し潰されそうな威圧感は並の格闘家など比較にもならない。もう少し言葉を選べばよかった、なんて後悔しても後の祭りだ。
 早く言い訳をせねば次なる教育的かつ物理的な指導が待っている。
「エ、エド! 中央司令部に行って、エド達のいる場所を聞くだけ! いま二人とも中央にいて、軍の人が護衛に付いてるって聞いたから」
「……エド? ずいぶん懐かしい名前だね」
「でしょ。観光ついでに久しぶりに会いたいなって。だからあの、別に軍に用があるわけじゃなくてね?」
 とりあえず納得してくれたのか、母――イズミはふうんと気のない相槌を打って、ドレッドに編んだ黒髪を揺らした。
「……で、おまえ一人で中央に? 一人で?」
 一人でを強調されるとトウコは縮こまるしかない。「……うん」と絞り出した声は我ながら自信なさげで、イズミははーっと長い溜息をついて腕を組んだ。
 どきどきと返事を待っていると、ずっと流れを見守っていた父、シグが「いいんじゃないか」と声をかけた。
「この機にいろいろ経験してくるといい」
「けどねえ……トウコだよ? 家の近所ですら迷子になるような子が中央なんて」
 それは何年も前の話だと言いたかったが、反論できるほどの成長もしていないため黙っておいた。
 こんなことなら説得の言葉くらい用意しておくのだった。放任主義の母なら軽く許してくれるだろうと高をくくっていたが、思った以上に信用がないらしい。
 しばし考え込むような沈黙が続いたあと、イズミは「よし」と手を叩いた。
「わかった。どうしてもというなら私を倒して行きなさい」
「なんで!?」
「自分の身も守れない子を旅には出せないだろう」
 言いながら肩を回すイズミはすでに戦う姿勢だ。シグはいつの間にか仕事場に戻ってしまっている。
「旅行! ちょっとそこまでプチ旅行するだけだから!」
「問答無用!!」
 静止の言葉も虚しく音速の拳が空を裂く。日常のほとんどをベッドで過ごしていてこれなのだからつくづく才能とは理不尽だ。毎日鍛錬を欠かさないトウコであっても、母が本気になったなら半端では相手にすらならない。
 ――ええい、ままよ!
 腹をくくって構えをとり、トウコも迎撃の姿勢に入った。

「……ふう。ま、こんなもんでしょ」
 娘を瀕死寸前まで追い込んでおいて、こんなもんとは。
 小一時間の打ち合いのあとにも関わらず涼しい顔をしているイズミはやはり体力お化けだ。倒すなんて十年先でも不可能だと断言できる。
 疲労と痛みで地に伏したトウコが口を開くと、カラカラに乾ききった喉が引っかかった。
「わたしが死んだらシディにエサをあげて……」
「これくらいで情けない。やっぱり旅行はやめとくかい?」
「……えっ」
 数秒理解が遅れて、トウコはのそりと顔をあげた。
「い、いいの?」
「いいもなにも自分で決めたんだろう」
 だってさっきは。
 そう思っているのが顔に出ていたのか、イズミはいたずらっぽく苦笑して見せた。
「ま、かなり不安だけどね。多少の苦労は経験のうちでしょう。行っておいで」
「やった! ありがとうお母さん!」
 ぱっと立ち上がって跳びはねる。疲れはどこかへ飛んでいった。「よかったな」と勝手口から出てきたシグに勢いよく抱きつくと父の匂いがした。この匂いともしばらくお別れだと思うと、今さら少しさみしくなる。でも嬉しい。
 浮かれるトウコに「ただし」と待ったをかけて、イズミは厳しい顔を作った。
「くれぐれも物騒なことには首突っ込むんじゃないよ? 護衛がどうとか言ってたけど、見栄張って危険に手出ししないように! あといつも言ってるけど、知らない人にはついていかない!!」
「うん、大丈夫! ちゃんと分かってるよ!」
 胸を張って答えたら、「本当だろうね」と呆れ半分に笑われた。
 旅費はどうするんだとシグが現実的な疑問を口にする。
「貯金がけっこうあるからそれを使う。しばらく滞在するくらいの余裕はあるよ」
 トウコが日頃から倹約していることを知っている父は、なるほどと頷いた。
 それでもまだ心配そうに念を押す。
「なにかあったら必ず電話するんだぞ」
「はーい」
 続いて、母もひと言。
「旅先でもトレーニングはきっちりやるんだよ」
「は、はーい……」
 その後、荷物に忍ばされた鉄アレイをこっそり抜きつつ、トウコは初めての旅行の支度に心を躍らせた。

§

 精肉店である自宅の軒先に簡易テーブルを並べ、ホワイトキルトのテーブルクロスで覆う。ここまでがトウコの朝のルーチンワークだ。
 即席の陳列棚にアクセサリーや小物を飾っていると、顔見知りの客に声をかけられた。
「おはようトウコちゃん、鶏むね4枚ちょうだいな」
「まいど! おはようございます、おつかいですか?」
「そうなの。あら、このブレスレット新作?」
 店の中に戻って注文の肉を計量器に乗せていると、客である女性がたった今並べたそれに目をとめた。
「昨日作ったばかりです。これから夏に向けて、涼し気なデザインを増やそうかと」
「へーかわいい! おつりはお小遣いにしていいって言われてるし、これ買っちゃおう」
「ありがとうございます! 鶏むねと合わせて970センズです。預かってたピアスも一緒に包みますね」
「もう修理終わったの? さすが早いね」
 アクセサリーをはじめとする雑貨類の制作はトウコの趣味だ。材料費の回収ついでに売り物にしているこれらは、ダブリスに暮らす年若い女性たちを中心にそこそこ人気を集めている。また観光地だけあって、土産物としての需要もある。
 はじめは雑貨の修理から始めた店だったが、いつの間にか注文も品数も増えた。今では店の隅だけでは収まりきれずにこうして表にまで並べているほどだ。
 いつかは自分のお店を持ってみたい。トウコのささやかで大きな夢である。
「トウコ、一人旅に出るんだって?」
 買い物を済ませた女性が去った直後、近所の少女が目をキラキラさせて現れた。以前は仲良くしていた子だ。
「そんな大層なのじゃないよ。ちょっとした観光」
「なーんだ。お店の人が泣いてたから、てっきり修行の旅にでも出るのかと」
 ああ、と思い当たって苦笑いした。従業員のメイスンはトウコを実の妹のように思ってくれているが、代わりに少し心配性でもある。
「まあ修行なんかしなくてもトウコは強いもんね。子供の頃から、ムカつく男の子とかすぐふっ飛ばしてたし」
「ん……今はしないよ、そんなこと」
「そりゃそうだよ! この年で男の子相手にケンカなんかやってたらドン引き! よく平気で人を殴れるよね。トウコって昔からすごく野蛮で、見てて死ぬほど怖かったんだから」
「ごめんね」
 これまで何度も言われた言葉に、今日もトウコは謝った。
 未だにこうして話題にのぼるくらいだ、よほど怖い思いをさせたのだろう。ふつう女の子は暴力やケンカを嫌うのだから当然だ。荒事が嫌いじゃないトウコの方が変わっているのだ。
 家が近い彼女とは幼馴染とも言える間柄だが、そういう感覚は昔から全く噛み合わなかった。だからトウコが彼女を虐める男の子に殴りかかった時も、助かったと安堵するより、自分が元で暴力沙汰に発展することを怖いと感じたのかもしれない。
 怖がらせるつもりはなかった。人付き合いの得意ではないトウコにとって、彼女は貴重な友人だった。
 だから出来るならまた昔のように。そんな願いからトウコは思い切って口を開いた。
「ね、ねえ、このあと空いてる? よかったら久しぶりに、その……一緒にどこか、」
「なにそれ、嫌がらせ?」
「え……」
 声が皮肉の色を帯び、じっとりと睨みつけられた。
「トウコと並んで歩くなんて罰ゲームじゃん。ほんっと性格悪いよね」
「……そんなこと」
「ないって思う? そうだよね、あんたは気づかないんだよね。この町の男の子も大人も、皆トウコばっかり見てるのにさ」
 言われたのはこれが初めてではない。そして同じことを言うのは彼女だけではなかった。
 だからいい加減、身に覚えがないとは言えない。周りが下す自分と友人たちへの評価の違いにも薄々気づいていた。
「綺麗で強くて賢くて、働き者の看板娘で錬金術師! みんなあんたが可愛い。うちのお母さんもお父さんも私よりトウコを褒める。中身はこんな乱暴者なのに、みんな表面しか見てないんだから」
 けれどどうしたらいいというのか。母が凄腕の錬金術師だから憧れて勉強した。そしたらついでに武術も叩き込まれて、性に合っていたからこれも努力した。寝込みがちの母に代わって家の仕事を手伝った。それをやめることなど出来ない。
 わからないから何もしなかった。周りが何を言おうと気にせずにいたらいつの間にか多くの友人を失っていた。気にならないのは自分だけだと気づけなかった。
 だからこれはきっと、自業自得なのだろう。
「友達がほしいなら旅行先で作れば? まあ、とは言っても……」
 意味深に言葉を切って、少女は見通すような目で笑った。
「どうせあんたは中央でも同じことをやるよ。あんたはどこへ行っても変われない」
 呪いじみた言葉が頭の中で反響する。
 トウコに傷をつけて満足したのか、少女は鼻で笑って踵を返した。
「じゃ、もう帰って来ないでよね。目障りだから」
 そう言い捨てて少女は去っていった。
 客の帰った静かな店内で、トウコはため息をついた。
「……仲直り、無理なのかな」
「にゃー」
「ねえシディ、中央では友達できるかな」
 友達を作りに行くわけではない。トウコにはもっと大切な目的がある。
 けど、一人くらい仲良しが出来るといいな、と少しだけ期待した。

§

 陽が昇り始めたばかりの早朝にトウコは家を出た。
 芍薬に似た香りが朝の空気にとけて、清涼な甘い匂いがほのかに広がる。つんと冷えた空気を思い切り吸い込むと、ポニーテールに結った黒髪がさらりと揺れた。
「忘れ物はないね?」
「ばっちり」
 始発の切符に、いくつかに小分けした財布。昨夜から何度も確認して抜かりはない。始発に乗っても中央に着くのは昼過ぎだからお弁当も重要だ。
 バッグから顔をのぞかせたシディが眠たげにあくびをした。彼に占領されたバッグと小ぶりのトランクだけを持って、最後に両親を振り返る。
 まばゆい初夏の朝日に飴色の瞳を細め、大きく手を降った。
「それじゃあ、いってきます!」
「いってらっしゃい、トウコ」
 こうしてトウコは、カーティス家をあとにした。

  1. 2015.10.15
  2. 2016.08.03 加筆修正
  3. 2020.03.31 加筆修正
  4. 2020.04.26 一部改稿